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執筆者の写真北海道ピアサポート協会

【連載】「私のピアサポート!2021.7号」

 <配信の目的>

コロナ禍においてWEBを活用したピアサポートの情報発信を行います。

また、協会員参加型のピアサポートにおける繋がりづくりを目指しています。


<記事の内容>

① 私とピアサポートの出会い

② 私にとってのピアサポート

③ ピアサポート活動

④ 仕事とピアサポート

⑤ ピアサポートの未来 


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◉今回の投稿者◉

矢部 滋也(一般社団法人北海道ピアサポート協会)【札幌市】

「① 私とピアサポートの出会い」


ピアサポート活動をし、かれこれ10年近くが経ちます。早いものですね…ピアサポートは第二の人生を歩み始めるきっかけでした。僕にとって、ピアサポートとは何なんだろう…そんなことを振り返りながら記事を書いてみたいと思います。


僕は現在38歳になります。27歳の頃に精神的に辛い状況に陥り、食事が喉を通らず、眠ることもままならない…、心が壊れてしまいました。今は病気が治ったのかというと、決してそうではありません。今でも症状によりとても辛くなることがありますし、薬も飲み続けています。なんとか働けているのも仲間のおかげです。


10年程前に、仕事も休職し、病院やリワークに通う生活だった僕は、リワークの精神保健福祉士さんから「ピアサポーター」というお仕事について教えてもらい、こころのリカバリー総合支援センターに繋がり、ピアサポートの研修会に参加できた経緯がありました。現状を脱したく、「動いてみたこと」と「人との繋がり」に感謝です。


その頃、今よりも体調は安定していなく、1週間のうちに何度も体調を崩し、暗いトンネルの中で出口を探していました。


右も左も分からず受けたピアサポートの研修会には、「病気や障がいの経験を生かして働く人たち」がたくさんいたことに驚きました。人生に希望を感じた瞬間でした。


「僕も経験を生かして働きたい。」


名刺を持っていなかった僕は、研修の間に、家に帰ってからパソコンで自作の名刺を作りました。何も所属や肩書もなかったので、名刺にこう書きました。「札幌でピアサポートの道路工事活動をしていく」。そして現在に至ります。


ピアサポートを考えた時に、いろんな意味の「仲間」という言葉が頭に浮かびます。決して同じ経験をしてきた訳でも、全く同じ苦労でもない。だけど、同じような経験というのが独りじゃないんだという安心感と、「なんかあったかい」感覚。仲間というのは自然と僕も頑張ろうと思える存在。心の支えですね。


僕が出来ることをこれからも仲間と共にやっていきたいと思います。

ありがとうございました。

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