<配信の目的>
コロナ禍においてWEBを活用したピアサポートの情報発信を行います。
また、協会員参加型のピアサポートにおける繋がりづくりを目指しています。
<記事の内容>
① 私とピアサポートの出会い
② 私にとってのピアサポート
③ ピアサポート活動
④ 仕事とピアサポート
⑤ ピアサポートの未来
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◉今回の投稿者◉
永井 隼一(一般社団法人北海道ピアサポート協会)【札幌市】
「② 私にとってのピアサポート」
私は15年前にうつ病を発症し、現在は不安障害を抱えながら、ピアデザインで支援員として勤務し7年目になります。
初回のピアサポートとの出会いとも内容が被るのですが、私が初めてピアサポートに触れたのは、10年前に初めて入院をした時です。
右も左も分からず、かつ調子も悪い中、1人病棟でぼけーっとしていた自分に話しかけてくれ、一緒に食事をしたり作業療法に誘ってくれたりと、窮屈な人生と入院生活に光が差した感覚がありました。その後、当法人代表のやべっちから活動の誘いを受け、そこでピアサポートという言葉を初めて知りました。
子供の頃から引っ込み思案で、なにをするにも周りに併せて行動をし、明確な夢や目標もないまま大人になり、仕事をし、自分という軸がないまま病気になった経緯を振り返ると、決して褒められるモノではなく、病気になる前の自分に戻りたいかと問われると複雑な心境になります。
病気自体誰もが自ら望んでなりたいとは思わないでしょう。病院にも通わなくてはならない、薬も飲み続けなければならない、原因の無い不安が襲ってくる、たまに対人恐怖などなど。どれも経験しなくて良いなら避けて通りたいものばかりです。
ですがそれを経験したことによって得られたことも沢山あります。仲間との繋がりと、その中で自分らしく生きることが出来ている。このことが自分がリカバリー出来ている証であり、過去に捉われない理由なのだと思います。
現在は体調も安定し、有難いことに、仕事も大変なことは沢山ありますが楽しくやらせて頂いてますし、ある程度自分の軸も出来たのかなと、そう思ったりもします。
病気、障害と共に歩み、自分らしく生きていく。私にとってのピアサポートは大袈裟かもしれませんが第二の人生だと感じています。
つたない文章ですが、お読みいただきありがとうございます。