【WEB連載】「私のピアサポート!」2026.8月号

【WEB連載】「私のピアサポート!」2026.8月号
今回の投稿者:S・Aさん
ニックネーム:S・A
タイトル:『境界と広がりとしてのピア』
ピアサポートを日本語で言うと仲間の支えと言える。
でも日本語にするとどこかいびつでちょっと感覚的にズレている気がする。私の感覚的なことなのでちょっと聞いてもらいたくて記してみた。ピアサポートの語感が、きっと元の言語から広がりや遷移を含むからなのではないか。インターネットがネット(網)と言われるようになって、スポーツのネットやヘアネットのネットその他と並んで意味の一群を指すようになった。ピアもピアサポートもそんなところがある気がする。地域ピアサポーターなるものも出てきて、いよいよもってピアサポートとは何ぞや?の謎が深まっている。
私は、ありがたいことにピアサポーターの認定にはたどり着いた。学べば何か見えてくるかと思ったが、そんなことはなく謎は混沌のなかのままだ。認定取って道がひらけた人がいたら教えてほしい。むしろ道を模索する道具の一つでしかなかった気がする。道具を手に入れたら何者にかなれるかと言うとそうではなかった。道具の危うさや深さを知ったので、道具に触れた手からそっと恐る恐る見回して、裸の自分に気づいただけだった。しかしそれは決して絶望ではない。恥と垢にまみれた自分を知ること、そして今もなお直視できない部分や自分では見えない背中があると知ることだ。
さて。認定が取れたことだし生活をしなくてはならない。私は就職活動をした。ピアサポーターの募集は稀で、障害福祉に関わるパートも何箇所か選考に落ちた。そのなかで気づいたことがある。自分の想定するピアの範囲と社会の求めるピアの範囲にはズレがあることが多いのだ。自分の中ですら、体調や気分の波でピアの存在領域が違う。発達障害のピア?睡眠障害、不安障害、〇〇障害、〇〇症のピア?こころにかかわる生きづらさがあるピア?それともあらゆる生きづらさのピア?逆に社会から求められがちなのは、カテゴリ別のピアであったり、便利屋か善意ボランティアのようなピアもあったりするようだ。そんななかで繰り広げられるのは、ピアという不確かな言葉に向かって、そのばその場のニーズを見て意見をすり合わせていく作業のように思う。自分のピア観を貫こうとしても相手にはいまいち伝わらない。相手なりのピアの想定がある。結局平行線になったり暗礁に乗り上げたり。行政が定義してくれたら明確化されるのだろうか?でもその交渉の姿勢と過程がだいじではないかと感じる。福祉とニーズが入り乱れて林立している社会の営みの中で、ピアサポートもまたあちこちで擦り合わせをしている。私は統一も欲しいけれどその営みを丁寧にできたらいいのかなと思う。某事業所の面接で、「うちはこういった方々の生活のお手伝いをしています亅と説明を受ける。じゃあ、一歩違えば利用者の方になる自分だけれど、「事務作業やこういったお手伝いができると思います亅と言う。「なら、こういうことに挑戦する気はありますか?亅「こんなことならやってみたいです亅そんな感じ。お互いに線であったピアの領域をぼかしてなじませる作業だ。これが正しいかは分からない。でもこれが地道なピアサポート普及活動になることを願う。
結局当初の想定したピアサポートとはだいぶ違うパートの求人で採用された。でもこれも社会が自分に求めるピア(大枠での障害福祉)の類なのかと受け止めた。仕事が続くといい。きっと続けるなかでまた折り合いをつけて学ぶピアがあるはずだ。心折れる日もあるかもしれないけれど、学び続けたいと考えている。どうかオラに力をください。
逡巡しながら日々過ごされているみなさんのことも、微力ながら応援します。


