今回の投稿者:やべっち(矢部 滋也)
タイトル:『10年という時の経過とともにピアサポートの原点を振り返る』
北海道ピアサポート協会のやべっちです。今回は協会10周年ということもあり、改めてピアサポートについて考える時間をいただきました。
僕が初めてピアサポートという言葉に出会ったのは大学4年生の時でした。今から、20年ほど前になります。その頃、ピアサポートサークルというものがあり、ピアサポートに強い興味があった訳でもなかったのですが、サークルに所属していました。大学の先生は飲酒、喫煙、性に関することは、親や教師ではなく、もっと身近な人から伝えた方がきっと効果があるのではないかという研究をしていました。
中学や高校に啓発活動に行ったりもしていました。「〇〇をしちゃいけない」をちょっと人生の先輩から伝えていたのです。もちろん、その活動は大切な活動と思っています。ピアサポートの起源は、アメリカの少年院内でのそのような関係性とも言われています。
今思うと、ピアサポートし合うには「関係性があるかどうか」ということなのではないかと思います。年齢的には先輩であっても他人は他人にしか過ぎないのです。
精神のピアサポートに出会ったのは、病気をしてからです。僕はその時、とても、もがいていました。そう、病気の自分を受け入れられなかったのです。
療養期間に過ごした仲間は、とても居心地が良かったです。ある意味、一旦、社会からリタイアした仲間としてピアを感じていました。でも、何かが違いました。それは何か…社会と自分と線を引き、ここに落ち着いていいのかという感覚がありました。今では貴重な経験です。
僕が、ピアサポーター達に出会ったのは少し先のことです。今の自分を何とかしたいと思っていた時期です。精神障がい者ピアサポート専門員の養成研修に参加したときのことでした。
病気や障がいがあっても、イキイキとし、働いている姿に感動しました。僕の人生をどん底に落とし、先の見えない苦しい経験が、その時、自分の経験を活かして働いている姿に紛れもなく希望を感じました。
これが、初めて感じたポジティブなピアサポートの感覚です。僕も先輩方のようになりたいと強く思いました。あの時のみんなの笑顔は今でも目に焼き付いています。
僕の原点はそこにあり、これからも地道にピアサポートの道路工事活動を続けていきます。そして、いつかピアサポートという言葉がなくなり、誰もが支え合える世の中になるまでは…
それまで、ともに歩もう。