【WEB連載】「私のピアサポート!2022.5月号」

◉今回の投稿者◉

吾孫子貴宏 北海道ピアサポート協会(応援サポーター) / 札幌市

私にとってのピアサポートは、『希望・繋がり・架け橋』です。


自分がピアサポートを知ったのは、『ピアデザイン』が出来た時ですね!それまでは、ピアスタッフの存在しか知らなかったので、ピアサポートがどんな風にやるのか見当がつかなかったし、ピンと来なかったです。


自分は、東日本大震災の被災者の一人です。当時は、まだ北海道に帰って来て間もない時期だったし、精神病院(今も通っている)に掛かり始めた時だったので、当時は色々とかなり大変な時期でした。そんな時に、地域活動支援センターに通っている時に、一緒にフットサルをやらないと声を掛けてくれた人が(今も繋がっているし、フットサルもやっています)誘ってくれて、そこで『ピアデザイン』の代表や理事の人に会う事が出来て、『ピアデザイン』が出来た時からずっと交流をする事になって、毎年恒例のこころのフォーラムに参加をするようになって、そこでピアサポートの持っているチカラだったり奥深さに凄く感銘を受けました。もし、あの時に自分がフットサルをやって居なかったら、『ピアデザイン』の代表や理事に会う事もなかったし、ピアサポートの事も知らなかったと思います。


ピアサポート定義では、同じ趣味とか同じ境遇とか同じ病気とかなど有りますけど、自分は病気が有る無いとかじゃなくて、どんな時でも寄り添う事が出来れば、誰でもピアサポートが出来ると思います。だから、一番最初に書きましたけど、私にとってピアサポートは『希望・繋がり・架け橋』だと思います。確かに自分も皆さん同じように病気になってから色々な部分を失ったけど、、、それでもピアサポートを知ってから、それ以上に別な景色を観る事が出来たし、普通に生活をしていたら絶対に出来ない事も色々とチャレンジがするようになったし、新たに得た部分も大きかったし、希望を持つ事が出来ました。それがフットサルの仲間だったり震災の団体の仲間だったり福祉関係の仲間だったり他にも色々な所で繋がる事が出来たし、人と人の繋がる大事な大事な架け橋だと思っています。ましてやピアサポートには、0と言う事が無いと思います。何故なら、自分一人で悩んだり考えてやる訳じゃなくて、仲間の相手の人が居るから、例えそれが1でも寄り添って手を差し出して、リカバリーが進んで行けば、後に残った99は、お互いに希望や可能性が有るし、それが100になっても、またスタートラインが1から始まって、そこから架け橋になって、色々と部分が繋がっていて、自分も相手も引き出しが増えて、その経験が次のステージに活かされて行くからです。だから、自分の記事を観て、一人でも多くの人達がピアサポートに関心を持ってくれれば嬉しいです。

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◉今回の投稿者◉ 木村邦弘(一般社団法人北海道ピアサポート協会 監事) テーマ:「ピアサポート」は生きる支え 私にとって「ピアサポート」はまさに生きる支えです。とりわけ、現在後期高齢の満76才のうち、55才以降の晩年20年間は、私と家族にとって耐え難い困難に直面しました。 何とか乗り越えられたのは、そこに「ピアサポート」があったからに他ありません。 先ず最初の試練は、20年前に当時51才の妻が、同