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執筆者の写真北海道ピアサポート協会

【WEB連載】「私のピアサポート!2023.1月号」

【WEB連載】「私のピアサポート!2023.1月号」

新納美美 (ニックネーム:みみ) / 天の川銀河 太陽系 地球 / 北海道ピアサポート協会 / 札幌市在住

タイトル:人生を創る過程

 

わたしはいま54歳。宇宙人として第二の人生を歩んでいます。わたしにとってピアサポートは、人生をかけて探究してきた、人を輝かせる至高のケアの答えです。同時に、人生の探求を支える実践でもあります。

わたしのピアサポートは、人間として等価で、生き合い生かし合う社会関係の過程……この地上に棲むすべての人間が欲しているものだとおもいます。つまり、障碍ピアサポートよりも広い意味をもっているのです。

そんな世界観に至った、わたしの人生の物語を語ってみたいとおもいます。

わたしは、22歳で看護師になり、24歳で保健師になりました。そして、保健師をしていたとき、人の輝きを産み出すケアの遺伝子を後世にのこしたいと考え、学問の道に進みました。

大学編入に始まり、修士課程に進学。その後、看護系大学に在籍し、人間の生の本質に届くケア、特別ではなく自然に発生する日常的ケアについて、学術的な視座で探究してきました。

けれど、探究が深まるほど、手にした答えとケアの教育との溝が深まるばかり……。研究者生活も10年を過ぎた頃、わたしは、アカデミアの内側で生きることに希望を見出せなくなってしまいました。分析力が研ぎ澄まされているはずなのに、なぜか、現象を見つめる眼が曇ってしまう一方だと感じたのです。

「自分自身にくっついてしまった様々なものを、引けるところまで引いたら何がのこるのだろう?」

わたしは、あてもなく職を辞し、専門の枠からはずれました。これが現在につながる大きな選択の一つになりました。

その後、志したケアの探究だけは捨てられず、わたしは、ふたたびアカデミアの門をたたきました。それまで知らなかった科学哲学……日本語なのに言葉が通じない領域で博士後期課程に進学したのです。

基礎知識が無く苦しい院生生活を送りながら、ケアに対する観方が少しずつ変わっていく自分に気づかされる日々。長いトンネルを抜けたとき、わたしは、自分の眼の曇りが「価値」によるものだったことを知りました。けれど、このときも、探している答えを掴むことはできませんでした。

 

課程を修了し、役立たずの学位を手にして社会に押し出されたわたしは、生きる場がなく途方にくれました。

「このままでは浮かばれない……」

藁にもすがる思いで研究助成金に応募。運よく獲得した研究費で2年余り、データ収集と思索の日々を続けました。

そしてとうとう、悲願の、人を輝かせる至高のケアを掴みました。それは、人間として等価で、ありのままの照り返し合い……言わば、生き合い生かし合うピアサポートでした。

「ケアの原点に戻ってしまった……」 わたしはショックを禁じ得ませんでした。

この「あまりにも素朴すぎる答え」を後世に伝えるためにはどうしたらいいのか……。考えに考えた末、わたしがたどりついた答えは、教えないこと……気づきにつながる照り返し合いの場を共同創造すること……。つまり、どのような立場においても、ピアサポートの実践をし続けることでした。これは、ピアの枠(属性)の放棄を意味していました。

たどり着いた答えを具現化するために、最初にすべきことは、わたし自身が専門性やキャリアの舞台から完全に降りることでした。人生を清算して何も持たないただの人に戻り、ただの人で在り続けることにしたのです。地球に棲んでいる人間は、宇宙からみれば宇宙人。わたしは、生まれ変わった自分に宇宙人の称号を与え、再出発しました。

いま、わたしは、支援者ピアサポートの触発に取り組んでいます。支援の場で、支援者自身が「ただの人として居られること」が、支援の質を高める必須要件だと思うからです。

「宇宙人がありのままに居られる場を、支援者と共同創造する! その道程から、新たな流れが生まれるはず……」

そう信じ、出会いを喜び、ありがたく社会のなかに居させていただく日々……

「天然水のような対話で、出会った支援者を癒し、生命エネルギーを循環させたい」

宇宙からみれば塵よりも小さな町の片隅で、今日もわたしは、宇宙のように大きな夢を抱き続けながら、唯一の人生を生きています。




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