【WEB連載】「私のピアサポート!2023.3月号」
「選ばれたのはピアサポートでした」
木村智之/居宅介護事業所ピリカポッケ/北海道ピアサポート協会/札幌市
私は発病が19歳で現在40歳、払いたくない介護保険料を払い始めたところです。発病を誕生と考えると現在21歳で、かなりピチピチの若者ということになります。私は現在何を隠そう「安心して発病できる社会作り・安心して不安を抱ける生活」を目指して活動しています。
鬱と強迫性障害の発病以来数年間の引きこもりの後、この数年は障害福祉サービスの仕事に携わってきてしまっていますが、20代30代では全力で就職と離職を繰り返して、とても節操のない社会生活を送ってきておりました。
私にとってのピアサポートは「人間的なつながり」そのものです。今までたくさんの医療機関にお世話になること21年、お世話になればなるほど自己否定感に苛まれ、いかに自分がダメな人間かを思い知らされてきました。
医師や看護師、心理士などいわゆる専門職スタッフの「専門的な治療」は私にとってなんら回復の一助となることはなく、回復を阻害してきたように思います。
私にとって回復の一助となったのはまさに「人間的なつながり」でした。それを感じられた場面は、場所の性格・相手の立場を問わず、何気ないやり取りや素直な感情の相互的な表出場面でした。
病気を治そうとすればするほど回復が遠ざかり、ある職場を離職して回復を諦めて生きていこうと感じ始めたその日から、回復が始まったように思います。それは病気や弱さ・苦労を克服せずにそこに価値を置こう、抱えて生きていこうとしたところからの逆説的な過程でした。
私にピアサポートの概念を体を張って教えてくれたのは、人間味溢れるハートフルな専門職スタッフでした。
弱さ・苦労を絶えず自己開示するその専門職スタッフにカルチャーショックを受け、私がそれまで持っていた歪んだ根本概念や信念を爽快に壊してくれました。
「弱さ」を「弱み」とせず価値を置く、人として対等であろうとするその方のナチュラルスキルは、支援「する ー される」という概念とは異なり、人間としての尊厳の尊重が確立していたように感じます。
双方向に影響を与え合うそうした関係性の中では、立場を超えて人間的なピアサポートを実現する理想形があると感じました。
病気は治すもの、階段を登り高みを目指すといった信念が蔓延した風潮のある社会の中で、ある意味では、病気を治そうとする働きこそが病因となり得る、回復を阻害するものであるといえると思います。
「する ー される」という能動と受動の関係性を離れ、双方向的な関係性の中で、つまり対等性がある中でピアサポートは発生し、土台にそれがある上で立場と役割が機能することが最も有効であると思います。
そういったことを考えるようになってからは、患者という役割に縛られない、強要感のない「中動態の世界」を感じ、自由で心地よい、生きていて楽しいといった感覚を体感できたのでありました。
ちょっとまだまだ弱さに価値を置くこととピアサポートに関してしっかりと整理できていないところなんですが、「人間的なつながり」を通したピアサポートの実現を、これからもぜひ大切にしていきたいと考えているところです。
矢部さんを始め北海道ピアサポート協会の方たちにおかれましては、ピアサポートの追求に心血注ぐその姿に本当に感服し敬意を表する次第です。
こういったことを少し書いておいた方が、これからもピアサポート協会に良くしてもらえるかもしれないという密やかな期待があったりなかったりする次第です。
追伸、一昨年ピアデザインに伺った時に用意して下さっていたカントリーマアムチョコまみれを一人でこっそり5個も食べてすいませんでした。ずっと気に病んでいました。