【WEB連載】「私のピアサポート!」2025.10月号
- 北海道ピアサポート協会
- 21 分前
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【WEB連載】「私のピアサポート!」2025.10月号
今回の投稿者:山岸 未来さん
タイトル:繋がろう、広げよう ピアサポートの輪
山岸 未来 /活動ピアサポーター/徳島県
「みっきぃにカウンセラーになって欲しかった」
亡くなった親友が、私に残してくれた言葉です。彼女との出会いは同じ精神科の入院病棟でした。彼女は重度の拒食症で、余命宣告を受けていました。
私も過去に拒食症になったことがあり、下剤を乱用していました。病棟で一緒にご飯を食べていた時、その話をすると「私も下剤使うのやめる。一緒に遊びたいから、頑張ってご飯食べる」と話してくれました。
彼女はカウンセリングを嫌っていました。
どのカウンセラーに話しても同じだと言うのです。
そんな時に「みっきぃがカウンセラーだったら良かったのに」と話してくれたことがありました。その言葉がきっかけで、私は退院後、通信でカウンセラーの資格を取るために勉強を始めました。「みっきぃなら絶対カウンセラーになれるよ!私みたいに、みんなの話聞いてあげて」と応援してくれたのを覚えています。彼女と同じように、同じ立場で苦しんでいる人達の話を聞いて助けになりたい。その思いを胸に、ピアサポーターになることを夢見て勉強していました。その間に彼女は退院して、何度か会って遊ぶ機会が増えました。ですが、部屋には色々な薬が山ほど置いてあるのが気になっていました。
亡くなる一週間前から強い希死念慮の連絡が続くようになりました。そして彼女が亡くなる前日、電話がかかってきました。その時バスに乗っていたので、降りてからすぐにかけ直しました。何度かけても反応はありませんでした。LINEの既読がつくこともありませんでした。翌日、彼女は心筋梗塞で亡くなりました。あの時、電話を取ってあげられていたらと、自分を強く責めました。最後に何を話したかったのだろう…思いは巡るばかりでした。その後、私はカウンセラーとピアサポーターの資格を取得しました。
「応援してくれて、背中を押してくれてありがとう。お空から見守っていてね」と、彼女と撮ったプリクラや、私にくれたプレゼントを飾った小さな壁掛けラックに向かって、私は笑顔で涙を流しながら報告しました。あの時に流した涙は絶対に無駄にはしない。
彼女がくれた言葉は、想いは、私がこれから必ず繋げていくと、強く心に誓いました。
ですが、現実は思っていたものと違いました。
「ピアサポーターって何?」医療現場でも何回も聞き返されました。周囲の人達もそうでした。ピアサポーターの認知度があまりにも低いのです。”ピア”と言う言葉すら知られていません。求められているはずなのに、活動できる場所がないのです。夢と現実の差を知った私は、心が折れそうになりました。けれど、認知度が低いのなら広げていけばいいと思うようになりました。
ピアサポートは必要不可欠なものです。
”ひとりじゃない”という安心感が生まれます。
心の拠り所になります。私も就労継続支援B型事業所に通所していますが、メンバーさん達と何気ない話をしたり、辛かったことを話したり、話してくれたりと、ピア同士で繋がっています。当事者同士で支え合うこと、それは見る世界が広がる可能性も秘めているのではないかと私は感じています。だからこそ、ピアサポートの大切さを知って欲しいと思うのです。
人と人との繋がりはご縁であり、奇跡であり、やがてそれは大きな輪になると信じています。
ピアサポートという言葉が身近に存在する、そんな未来に向けて、これからも活動していきたいと思っています。
私の夢は消えないまま、始まったばかりです
